高橋名人と戦った話
近所のかずくんが離婚した時にうちに段ボール一つ分のゲームを「預かってくれ」なんて言いながら置いていったんですよ。まぁ別にスペースがあるからいいけどと思いつつ、中身に何があるのかを確認していなかったので、今日なんとなくその段ボールの中を覗いてみたんです。
中身は昔流行った実際に体を動かすリズムゲームやスポーツのゲーム、特にプロレスもののゲームが多く入っていてさすがはかずくんと思うラインナップでした。で、その中でピンク色でひときわ目立っていたのがこちらのゲーム。
高橋名人のBugってハニー!
高橋名人はファミコン全盛期にハドソンというゲームメーカー所属のファミコン名人として一世を風靡した、日本におけるプロゲーマーの先駆的存在なんですよ。80年代にキッズだったものたちがまさに「神」と崇める方だったのです。
高橋名人と言えば1秒間にボタンを16回押す「16連射」という必殺技がそのまま高橋名人の代名詞となっています。故に16連射といえば高橋名人、それ以外認める事はできません笑
で、ゲームのうまい高橋名人がどのくらい人気だったのかというと、このように人気絶頂期に高橋名人はゲームになったり映画が作られたりしました。まさに社会現象ですね。
ちなみに高橋名人のゲーム第1作目は「高橋名人の冒険島」という横スクロールアクションゲームでしたが、これは当時アーケードで人気だったセガの「ワンダーボーイ」というゲームのキャラ換え移植ゲームだったので高橋名人の初オリジナルゲームはこの「高橋名人のBugってハニー」なのです。
ちなみにゲームの出来は…本来であれば、
この丸をつけたキャラも一緒に戦っているゲーム開発画面がファミリーコンピューターマガジンというゲーム雑誌に載っていたのを記憶しているのですが、実際は納期の問題なのか全然高橋名人と関係ないブロック崩しゲームがドッキングされている斬新なゲームとなっていました。アクションの途中で唐突に始まるブロック崩し…まるでクリアさせる気のないそのゲーム性に当時のキッズは悲鳴をあげたと言われております。無論わたしも悲鳴を上げました笑
で、まぁこのBugってハニーってクソゲーはクソゲーなのですが、いいなぁと思う部分があるんです。それが、
この高橋名人本人が歌うアニメのオープニングテーマがゲーム中に流れるんですよね!当然ファミコンなのでメロディだけですが、このアニメもすごい好きで毎週欠かさず見ていたわたしはその音楽だけでも感無量…とはならんわ!なんだこのクソゲーは!!笑
Bugってハニーは激ムズな上に最終面だけブロック崩しで集めるパスワードの法則が違うという超意地悪仕様でしてね…大体のゲームをクリアしてきたわたしもこの最終面で挫折しました。大人になってクリア方法を知って愕然としましたね…いつかリベンジしてやろうぞ…
で、そんなBugってハニーを見ていて思い出したんですけど、わたしは小学生の頃に高橋名人と戦っているんですよ。ある時ゲーム雑誌に載っていた幕張メッセで開催される「東京ゲームショー」の記事を見つけて、親に懇願して連れて行ってもらったのです。
スーパーファミコンの名作ロールプレイングゲーム、ファイナルファンタジー4の体験版や、ゲームボーイの聖剣伝説あたりがデモプレイで遊べたのでおそらく1991年の東京ゲームショーだったと思うのですが、そのゲームショーの一角で「高橋名人と戦ってみよう」なんてコーナーがあったんですよ。その時のゲームがハドソンのファミコンソフト「ボンバーマン2」だったのです。
ファミコンのボンバーマン2は3人対戦ができるゲームで、高橋名人と、並んだちびっ子2人が戦えるという催しが開催されていました。勝てばオリジナルの缶バッチが貰えるって事だったので当然わたしも列に並んで高橋名人と対戦したのです。で、列に並び直せば何回でも遊んでいいって言われたのと、ボンバーマンって対戦の決着がすぐつくので、高橋名人とボンバーマン2で10戦ほど交えたのですが…
全勝
だったのです。高橋名人ではなく、わたしが。小学生のわたしが笑。あまりにも高橋名人に勝てるので夢中になって何回も並んで戦っていたら一緒にいたはずの妹が行方不明になっていて後で怒られたくらいです笑。で、
もしかして
高橋名人って
ゲームうまく
ないんじゃね…
って思ったのですが、ボンバーマン2は高橋名人の得意なシューティングゲームではないからたまたまかな?いや、高橋名人は優しいからきっと子供に勝たせてあげていたんだろう、なんて結論となったのでした。実際にわたし以外の子もそこそこ高橋名人に勝っていましたからね。
…それで、月日が流れ、2017年に「しくじり先生 俺みたいになるな‼︎」という昔の出来事暴露番組みたいなのに高橋名人が出演して、それを見たわたしは色々と納得したのです。
高橋名人の誕生秘話として、当時有名人をコマーシャルに起用するより社員の一人を有名にすればそれほどお金がかからなくて良いという結論からだったそうで。その会議の中宣伝部で唯一平社員だった高橋名人に白羽の矢が立ち、当時ハドソンの社長である工藤裕司さんから「お前、今日から高橋名人な」と指示されたのがきっかけだったというとんでもエピソードを紹介していました。
「本当は嫌だけど、社長が言うなら仕方が無いか」という理由で高橋名人引き受けたとのことですが、当然こんな感じで名人となってしまったのでゲームが特別上手いわけではなかったんですよね笑。
ですが高橋名人ってハドソンのプロモーションが成功していたからか、もう本当に神のようにゲームのうまい人って日本中の子供達に思われていたのです。しかし、実際はそんなにゲームは上手くない…で、高橋名人が名人である威厳を保つために取った作戦が、
キャラバンモード
なんですよね。ファミコンソフトのヘクター87とか、当時のハドソンのゲームには結構このキャラバンモードがついていたのです。これは何かというと「2分間・5分間モード」で、ゲーム開始から2分で何点取れるかというスコアアタックモードだったのですが、高橋名人はこのゲーム開始の「2分間」だけゲームメーカーの特権で発売前に猛特訓をし、キッズたちの期待を裏切らなかったわけです。
キャラバンモードはゲーム大会の時間短縮のためについていたのかと思ったのですが、実は高橋名人のためのシステムだったなんて、まー気づかなかったですわ子供では…
この番組をわたしは見て、高橋名人ってすごいプロ根性の持ち主なんだなぁと思ったと共に、やっぱりボンバーマン2はヘタだったんだなぁと納得しました笑。
有名人あるあるの高橋名人逮捕説や死亡説もあったりした高橋名人は現在、ゲームに関わるすべての業務を行う株式会社ドキドキグルーヴワークスを設立し、代表取締役名人に就任しています。代表取締役名人ってすごい良い肩書ですな笑。で、この会社ゲームの企画・開発・運営もしているようなので最後に一言言わせていただいてこの記事を〆ようと思います。
はよ
Bugってハニーを
作り直して笑
本当に開発中と別物のゲームでしたからねこれ。多分本人が一番やらかしたと思っていると思うので、当時のキッズももういい年だしクソゲーつかまされた事は水に流しますから早く作り直して!笑
まぁ、裏で何があっても当時のキッズにとっては高橋名人は名人ですからね、いつまでも応援しております。ただ、やっぱりボンバーマンはわたしの方が上手いけどね笑
ちなみに現在高橋名人はブログで当時のお話を語っていたりします。当時を知る人としては結構面白いのでぜひ覗いてみて下さい。
https://ameblo.jp/meijin16shot/
名人16ショットって、サイトアドレスもかっこいいよなぁ笑
“高橋名人と戦った話” に対して1件のコメントがあります。