聖域しまむら
わたしはもう、生まれてこの方完全にゲーセンっ子である。本日はまず何故にそうなったのかというお話。
ー
昭和のゆるーい風潮が許していた笑い話として受け取って頂きたいのだが、わたしは0歳の頃から今は亡きばあさんにおぶられて近所のパチンコ屋に出入りしていたようだ。ばあさんはじいさんと共に買い物に行くと言い、パチンコ屋が併設されている近所のスーパーというか複合施設に出向き、パチンコを嗜んでから買い物をして帰る事が多かった。今赤ん坊をおぶってなんてそんな事をやったらすぐパチンコ屋から追い出されるだろうけど、当時は結構そういう子供がいたそうで。
ばあさんの背中におぶされてパチンコ屋に行っていたのをわたしは覚えていないけど、かすかな昔の記憶を辿ると記憶として出てくるのがわたしが丁度小学生になった頃、じいさんとばあさんがパチンコ屋に入る前に数百円小銭を渡されてこれで暇をつぶしてろ!って複合施設に置いていかれた事。
その複合施設は「あおぞら市場」といい、スーパー、飲食店の他に花屋、金魚屋、靴屋、大判焼き(今川焼き、回転焼き)の売ってる軽食コーナー、そしてゲームセンターがあった。じいさんとばあさんはそのゲーセンの親父と馴染み(おそらくパチンコ仲間)のようで、その親父に(孫を)頼むぞと言うとそそくさとわたしを置いて隣のパチンコ屋に消えていった。そんなことが多々あったのである。
あおぞら市場のゲームセンターはラインナップが割と豊富で、ナムコのポールポジションを始めとした大きな筐体の体感ゲーム、テーブル筐体の数々、そして青いアップライト型のコナミから出ていた国盗り合戦なんてメダルゲームなんかがあった。でも、アーケードゲームって今も昔もどれだけ短時間でゲームを終わらせてゲーセンが儲かるかってのが大事なことだから、ラインナップが豊富だからといって闇雲にやりたいゲームをプレイするとあっという間に数百円なんか消えてしまう。
小銭が尽きてゲームが終わってもパチンコ屋には子どもは入っちゃだめだ!とばあさんに言われていた(おそらくわたしの知らぬ間に子供の入店をばあさんは店員に注意されたのだろう)ので、じいさんばあさんのどちらかが迎えが来るまでなんとか暇をつぶさなければならない。そうするとわたしはどうしていたかと言うと、ゲームセンター隣の金魚屋で延々と金魚を眺めていたのである。いつ迎えが来るのかわからないのに…
冷静に考えればこの時お金が無くなったら黙って他人のゲームプレイを眺めていれば良かったのだろうけど、おそらくこの時わたしはお金を使い切ってしまった自分への戒めとしてこういう行動をとっていたのだろう。見てると遊びたくなるし…金魚屋の店員さんも恐らくわたしの状況を察していたのか、延々と金魚を眺めているわたしに注意するわけでも話しかけるわけでもなく、ただ見守ってくれていた。らんちゅうって恐ろしい顔してるのをこの金魚屋で学んだのであった。
月に2回位はそんなじいさんばあさんに付き合ってあおぞら市場に置いていかれていたわたしも、いい加減お金を使い切って金魚を眺める虚しい思いをしたくないと考え、子どもながらに知恵を絞る。そこで出た答えが「見」。このゲームセンター、割と流行っていたからか平日昼間から結構お兄さんたちがいた。そんなお兄さんたちがどんなゲームをプレイしているのか、そしてわたしもできそうだなと思うゲームをちょくちょくのぞき見させてもらいながら探す。手元の小銭を使ってゲームで遊びたい衝動をぐっと堪え、研究した。
まず気づいたのがでかい筐体の「体感ゲーム」は非常にコスパが悪いということ。上に挙げたナムコのポールポジション。どんなに上手い人でも完走して5分くらいでゲームが終わってしまう。なので体感ゲームは遊ばないことにした。次にメダルゲーム。10円からプレイできるが長く続けている人がいないのでこれも遊ばないことに。
残すはテーブル筐体のゲーム、いわゆる普通のアーケードゲームだけど、当時稼働していたゲームをよーーーくみているとコナミ(イーアルカンフー等)、ナムコ(ディグダグ等)のゲームは子どもながらにコレは難しそうだなぁと思うものが多かった。というかコナミ、ナムコのゲームは結構新作で導入されていて見栄えや音楽が良かったから率先して遊んでいたんだけどそれらをプレイしてもすぐゲームオーバーになってしまい、それで金魚を眺めることになっていたという。大人になってあれこれわかっている今なら当時より長く遊べるだろうけど、小学生になるかならないかくらいの子供には難しすぎた。
で、ゲームセンターで「見」に走りあおぞら市場のゲームを研究し、ちょくちょく少ない小銭でお試しプレイを行いこれだ!と思ったのがセガのファンタジーゾーンとワンダーボーイモンスターランド。ファンタジーゾーンは1986年、ワンダーボーイモンスターランドは1987年にゲームセンターの導入されたゲームで、この2つは新作ながら結構お兄さんたちが長く楽しんでいるのを見ていたし、何となく自分もできそうだなと思って、人のプレイを見ながらわたしも遊んでいた。ゲームの内容は話し出すとすっごい長くなるので割愛する。
その結果アラフォーとなった今でもこの2つはワンコインクリア(100円ノーコンティニュークリア)ができるし、今でも好きなゲームなのです。共にNintendo Switchを始めとしたバーチャルコンソールでプレイできるので、ダウンロードして今でも時折遊んでいるという。
ファンタジーゾーンはSwitchで、ワンダーボーイモンスターランドはWiiでクリアした画面。
ファンタジーゾーンとワンダーボーイモンスターランドのおかげで数百円で何時間も暇を潰せるようになったわたしだが、とある事件がきっかけであおぞら市場のゲームセンターに行かなく、いや行けなくなってしまったのは小学2~3年生の頃の話。他のゲームも開拓しようと思いまたお兄さんたちのプレイを「見」して、これも結構いいところまで行けそうだなと思って研究を行いだしたコナミのグラディウスⅡをプレイしている時に見知らぬおばさんに君ゲームうまいねぇって話しかけたことからだった。
6面の高速スクロールをクリアするのに夢中だったのでおばさんの顔も見ないであ、どうもなんて答えるわたし。で、おばさんにお名前は?とか何年生?とか、どこの小学校?とか聞かれて最後に保護者の人とかいるのかなぁ?なんて聞かれて、ゲームに夢中で思わず全部なんとか小学校何年何組のおよですと素直に質問に答えて、剰え保護者はいるけどばあさんは今パチンコ屋にいるって言っちゃったんですよ。
え、パチンコ屋?とおばさんが言った時にやっとわたしは気づいたんです。あ、この人は補導する人だって。そのおばさんはそれでわたしに聞くだけ聞いてすーっと帰っていったのです。で、わたしにばあさんは何も言わなかったけど恐らく後日自宅に電話がきて怒られたんでしょう。それからじいさんばあさんからあおぞら市場に誘われる事が無くなりました。まぁ、あの悪たればあさんがそんな電話くらいでへこたれるとは思わないけど。
※うちのばあさんの伝説は下記のリンクに書いてあります。こちらも昭和の笑い話だと思っていただければ幸いです。
そんなあおぞら市場はわたしが小学4年生になる頃に無くなってしまった、というかみやぎ生協に建て替えられましてゲームコーナーは消滅したんですけど、1980年代当時って結構色んな所にゲームセンター・アミューズメントコーナーがあったのです。仙台で言うと今の青葉通り沿いのイオンが昔はダイエーで8階がまるごとゲームコーナーだったり、藤崎の7階にプレハブ小屋のゲームセンターがあったり、駅前の現イービーンズ、昔はエンドーチェーンと言って屋上遊園地がありエレメカが設置されていました。そのくらい社会にゲームセンターが浸透していました。
今でこそ家庭用ゲームとアーケードゲームの遜色がほとんどない時代ですが、1980年代当時は家庭用ゲーム機では再現できない煌びやかなゲームが並ぶ夢の空間。そんなゲームセンターをみーんな子供は好きな時代でした。なのでじいさんばあさんに置き去りにされたことは特に恨んだりはしてませんし、むしろアーケードゲームに詳しくなったし、ゲームの研究を通して何かを考えるって機会を与えてもらったんだなぁって思います。まぁ、しくじった際に金魚を何時間も見てるのは辛かったけども笑
そんなわけで、幼少期にゲームセンターで揉まれたわたしは未だに時代錯誤の寂れたゲームセンターとか温泉宿の小さいゲームコーナーが好きで見つけると興奮して散財してしまうのでした。さて、こんな長い前置きを経て最近のお話。
高田馬場ゲーセンミカドというゲームセンターが東京にあります。ゲームセンターですが、いわゆるレトロゲームがメインのセンターで昔のゲームがわんさか稼働しているんです。わたしは当然このゲームセンターが好きで東京に行った際にはちょこちょこお邪魔して遊ばせて頂いてるんですが、このミカドの特色として、ゲーム実況をYouTubeにアップロードしているんですよ。
懐かしいゲームで対戦したりスコアを競ったりしているので、ノスタルジックな気分になりながらわたしはよくこのミカドさんのYouTubeを見ていたんですが、先日こんなゲームを流していました。
つるりんくん…
お師匠さんの目を盗んでだんごを盗み食いするだけのゲーム。制限時間内に無事だんごを6個盗み食いすると、景品が出てくるこのゲームはわたしが小学生の時にはあったよなぁと思いながら調べてみると1990年にコナミから登場していました。そりゃ懐かしいわけだ。
そういやこういうクリアすると景品が出てくるゲームって、ゲームセンターよりわたしはよくしまむらで見かけていた気がするんです。しまむらは言わずと知れたファッションセンターしまむらの事で、日本の主に郊外を中心に多数の店舗を持つ衣料品チェーンストアを展開する会社であり、国内では衣服業界第2位。日本全都道府県に店舗を持つほか、台湾などへも展開している大企業なんですが、一昔前まで大体のしまむらには小規模スペースながらゲームコーナーが設置されていたんです。
しまむらのゲームコーナーってプレビ株式会社という、小規模のゲームコーナーから屋内遊園地まで幅広くアーケードゲームを取り扱う会社が管理しているので結構本格的なゲーム機が置いてあったりしたんですけど、5年くらい前からぽつりぽつりとしまむらからゲームコーナーが消えていってまして、それも時代かなぁと悲しんでいまして。
うちの近所のしまむらにもセガの名作アウトランナーズというレースゲームが置いてあってたまに遊びに行ってたんですけどいつの間にか無くなっていました。うちの近所のしまむらだけでなく同じ頃次々としまむらからゲームコーナーが消えたの全国のしまむらでそんな感じなのかなぁって勝手に思っていました。
それで、このミカドのつるりんくん配信を見ていて、ふとしまむらのゲームコーナーって本当に絶滅したのかなと思ってTwitterで検索してみたら、どうも岩切店にまだゲームコーナーがあるそうでして。まじかよ!まだ生き残っているしまむらのゲームコーナーがあるのかよ!と感激しつつ、地図を見るとうちから車で40分くらいか。うーん。
この事実に気づいたのが一昨日。
で、いても経ってもいられず今日行ってきました笑
※2023年現在こちらのゲームコーナーは縮小してしまっています。
どこのしまむらもこんな感じでゲーム機が置いてましたよね笑。岩切店は子供用の車の体感ゲーム、UFOキャッチャー、シャベルで景品をすくうクレーンゲーム、懐かしいメダルゲームの数々…そして、
ワニワニパニックと、
まさかのファイナルラップ(3)!
ファイナルラップ3は1992年にナムコから登場した上に書いたポールポジションの流れを組む体感レースゲーム。元祖ファイナルラップは1987年稼働開始…これ、現存してるってかなり貴重よね…というわけで思わずプレイするも2周目でタイムオーバー。ポールポジションと同じで急ハンドルを切るとすぐスピンするんですよねこのゲーム。ハンドルがギアがよれていたりしないので普通に遊べることにまた感動。状態がいいのがとても嬉しい。
ついでにワニワニパニックも触ってみたけどこちらは左端のワニが無敵(叩いても反応なし)だったのがちょっと残念。まぁ、ワニワニパニックは色々な所でまだ見かけるので。
メダルゲームコーナーは先客の女の子が頑張っていたので触らず。つるりんくんは残念ながら無かったけど、昔はどこにでもあったじゃんけんゲームがしっかりと設置してあるのが高ポイントですね。
そんなわけで、聖域しまむらは令和になってもきっちりゲームコーナーを設置している店舗が確認でき、さらに当時の懐かしいものが元気に稼働している姿に感無量のおよでした笑。最近多いアイベルと併設されているようなしまむらにはないだろうけど、もしかしたら郊外の方のしまむらを探してみればまだ岩切店の他にもゲームコーナーがあるお店があるかも知れませんね。気が向いたら探してみようかしら…いや、そこまでするんだったらしまむらのお客様センターに電話して聞いたみたほうがいいかも知れません。
宮城県内の他のしまむらでゲームコーナーを見つけた記事はこちらからご覧下さい。
当サイトの他の思い出話はこちらからご覧下さい。
“聖域しまむら” に対して9件のコメントがあります。