14歳のベクトル
先日、ネットを閲覧しているとこんな記事を見つけました。NY timesに記事によるとSeth Stephens-Davidowitz氏による音楽の好みに関する研究が行われその結果、男性は14歳の時にリリースされた音楽が、女性は男性より少しだけ早く13歳の時にリリースされた音楽がその後の音楽の好みに大きな影響を与えるという結果が出たそうです。元記事の全文は上のリンクから見ていただければと思いますが、つまりその人の音楽の好みは中学生の時に聴いていた音楽によって形成されるということです。
また、同じくネットを閲覧していて見つけた、Frank T. McAndrew教授のなぜ人々は歳を取ると新しい音楽を受け入れられなくなるのかという研究によると人々は33歳頃に新しい音楽を聴くことがなくなるとのことです。10代前半で音楽の好みが決まり20代で好みがガッチリと固まり、30代半ばになるとそれまで聴いてきた曲以外を受け付けなくなるのだそうです。
この、中学生で音楽の好みは決まり33歳で新しい音楽を受け付けなくなるというのはわたしも昔から聞いたことがありました。と、いうのもその発端となったのは、BS日本のうたをはじめとする懐かしい音楽のテレビ番組って結構放送されていたりするじゃないですか。現在だと新曲と懐かしい歌謡曲を混ぜたような音楽番組もよく見かけます。それってなんでだろうと思い昔調べたことがあるんです。すると上のお話のように33歳新しい音楽受付終了説みたいな記事が出ていました。総務省によると今のテレビ視聴者って若者より5,60代の方が圧倒的にテレビを見ていますから、視聴層の青春時代に合わせたらそりゃ懐かしい音楽を取り上げる番組が多いのは当たり前だよなぁと思いました。
わたし世代の年齢が60代になる頃にはGLAYやL’Arc~en~Cielなんかがそういう懐メロ番組で流れるようになるのでしょうね。自分に置き換えて考えてみると中学生当時のわたしはとにかくブルーハーツを聴いていてその後に聴いている音楽もそういう感じの曲が多いですね。まぁそれはいいとして、この中学生で音楽の好みが決まる説って何も音楽に限ったことではないと思うわけです。
思春期に少年から大人に変わるなんて徳永英明さんの名曲にそんな歌詞がありますが、思春期は12歳から17歳の頃を指し心も体も子供から大人に変わるわけで、その時に触れた文化や風習、生活習慣なんかは大人になる指標として吸収されるのは当たり前ですよね。音楽もそうですが、中学生の頃の行動パターンってそのまま大人になっても適応されてるとわたしは思います。また自分に置き換えると「ケツに火がつかないと動かない」と「暇ができたらゲームばっかりやってる」はもうすでにこの頃からだったりします。
わたしのまわりの友達に目を向けるとこの頃に新聞配達をしていた人は大人になっても朝も強いし仕事もきっちりとしていますし、あまり人に触れないで生活していた人は大人になっても休日に一歩も外に出ない生活をしていたりしますね。もちろん皆が皆ではないですが、中学生で形成された性格は30半ばまで成長してあとは止まる、そんな感じの人は確かに多いと感じます。
自分が30半ばを過ぎたから余計にそう思うのかもしれませんが、例えば食の好みも若い頃食べていなかったものはもう受け付けないって人はチラホラいます。ラーメンは普通の醤油味が好きで油そばは絶対に食べないみたいな。そんな人が若干1名います、わたしの周りには。音楽の趣味も懐古な感じで、演歌こそ日本の魂で歌謡曲こそ日本の宝と言っていたりする人がわたしの周りに若干1名います。前置きが長くなりましたが今日はその若干1名の、わたしの小学校からのお友達の話です。彼を見ていると上の行動パターン変わらない説は本当にあるだろうと思います。アフォなお話ですが、もう20年以上前の事なのでご勘弁下さい。
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わたしの地元のお友達、心の中で衣紋掛けと呼んでいる小学校から付き合いのある友達がいる。傍目は昔からヤンキーっぽくおっかない感じだが、ハンガーの事を衣紋掛けというから、というのが理由です。そんな衣紋掛け、なかなかぶっ飛んだ奴なんです。
小学校から彼の事は知っていますが、とにかく負けず嫌い。ボンバーマンとかやるにしても、勝つまでやめない。中学時代は同じ陸上部でしたが、事があると勝負を仕掛けてくる。心が折れるまで腹筋で勝負しないか?とか、何キロ走れるか競争するぞ、とか何かと闘争心を剥き出しにして、勝負をしたがるんです。しかもその勝負の内容が、どれもこれもお前ドMだろってくらいに過酷なのです。しかも彼は自分にとても厳しく、挑戦と称してうちから約400キロは離れた東京まで自転車で行ったりしていました。衣紋掛けは元々色んなものに感化されやすい性格だとは薄々感じていますが、多感な思春期にランボーとかロッキーとかブルースリーとか見てたから、そんな過酷な男になったのでしょう。
まぁ、そんな彼なので結構いろんな勝負を売られたりしたんです。もちろん、わたしは売られた喧嘩は(勝てそうなら)買いますので…で、わたしも売られた勝負には本気でかかって行くので終わる頃にはお互い瀕死になるんですよ。その中でも特に酷かった衣紋掛けとのお話が今日のメイン。
今の時期くらい…肌寒く、雪がちらつく季節。時はおよ中学生後半。大事な受験前なのに、ひたすら遊びほうけてましてね、衣紋掛けもそんな奴だったんです。この日は、衣紋掛けと2人で、朝からチャリンコを1時間漕いで仙台市内にある当時のお気に入りの古着屋でスウェットとか買いに行きました。同じ陸上部だったせいたんも誘ったけど、確か冬期講習とかそんな理由で来なかったのです。受験前なのでせいたんが正しいですね。
で、お昼。仙台市内の、大衆食堂はんだやでラーメンを食べる事にしました。現在も半田屋さんはありますが、当時の看板はひらがなで書かれており、今より安くそして昭和な感じがしていました。それで、もうこの頃からわたしは外食=ラーメンだったんですがね、衣紋掛けもラーメンが大好きなので問題なくはんだやへ。お店に入り、ラーメンをオーダー。お腹が空いてますからね、ラーメンが届いてがっつこうとしたその時、およ、ちょっと待てよ、と衣紋掛けが言いました。
ん、どしたの?と言うと、衣紋掛けは卓上にある、あるモノを指さしまして…
よく、業務用スーパーとかで売っている、1リットルくらい入っているすりおろしニンニクのボトル、それを指さして衣紋掛けはこう言った。今日寒いしさ、ニンニクをラーメンに入れるべ、と。
うん、それは別にいいよ。と、言うわたし。で、ただ入れるだけじゃ詰まらないから、勝負するべさ、なんて言う衣紋掛け。
ん?どうやって勝負るのさ?って聞いたら…
スプーン1杯づつニンニクを入れて、混ぜて食べて、ギブアップしたほうが負け!
とか言う。
それじゃ、折角のラーメンの味が変わってしまうだろう、と思いつつ売られた喧嘩は(勝てそうなら)わたしは買いますので、いいよ、って言いながら勝負開始。先手はおよのようだ。
1,2,3,4,5,6,7…
と、いきなり7杯入れるわたし。おい、なんだそんなに入れやがって!って言うから、みみっちいのは嫌いなんだ、早く衣紋掛けも入れてくれ、と言うわたし。渋々入れる衣紋掛け。
…うん、わたしはニンニク好きだけど、もうすでに何かやばいモノに変化しつつあるなこのラーメン…衣紋掛けを見たら、まだまだ余裕とか言いやがる。解った。次のわたしのターン。
1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13…
もうね、スプーン7杯入れた地点でこのラーメンはいつもの美味しいあっさりとしたはんだやのラーメンではありませんからね。躊躇なくニンニクをぶち込むわたし。ビビる衣紋掛け。しかし負けじと、まだ平気だしとか言いながらラーメンにニンニクをぶち込む衣紋掛け…
で、そうこうしているうちに…
1リットルほぼ満タンだった業務用ニンニクを二人で使い切った。
最早、ラーメンにニンニクトッピングではなくニンニクにラーメントッピング。で、まぁそんな馬鹿なことをしながらも食べ物を粗末にするとバチがあたるので仕方なしに辛いよぅ舌痛いよぅと言いながら啜り、わたしはそのニンニクにラーメントッピングの麺はとりあえず食べ終えたんです。衣紋掛けより先に。もうわたしの勝ちでいい?なんて聞いたら、
まだだ、スープまで飲み干したらな!
とか言うわけです。さすが負けず嫌いの衣紋掛け。1リットル容器ほぼ満タンのニンニクボトル使い切ったんですよ。て、事はほぼわたしのラーメンにも衣紋掛けのラーメンにも500mlはすりおろしニンニクが入っている訳じゃないですか、それを飲めと…麺食べているだけで、最早舌が痛いのに。で、
一気に飲み干すわたし
負けるかこん畜生。どうだ、飲んだぞ、と衣紋掛けに言うと、彼の闘争本能に一気に火がつき、親の敵の様にスープまで一気にニンニクにラーメントッピングを食い尽くした。まぁ、引き分けだな、と衣紋掛け。スピードで言ったらわたしの勝ちだが、これはニンニクの量を競うロシアンニンニクだったので、引き分けでいいやぁ、と。
二人で食べ終え、店を出る。間もなく、異変が体を襲う。真島昌利さん楽曲提供で近藤真彦さんが歌うアンダルシアに憧れて、じゃ無いけど…
コンクリートにキスをする
前のめりに倒れるわたし。バタっと倒れました。胃が痛い、痛いってか燃えているような感覚…体に力が入らずばったり倒れて起きあがれないし、その途端体中から汗が噴き出す…熱い、体が焼かれている様に熱い…これはまずいと思い、衣紋掛けに助けを求めようとしたら…
衣紋掛けも倒れていた
およ、やべーよ熱くないか?起きれねぇ!とか言う衣紋掛け。うん、熱い、汗が吹き出しすぎてこれはやばいから服を脱いだ方がいい、と言って、
雪のちらつく中、
Tシャツで地面に寝転がるバカ二人
コンクリートの冷たさが、ひたすら気持ちよかった。道行く人に何かおぞましい物を見るかのように見られていたが、そんなの気にしない。てか、近づいてこようとした人もいたが、余程ニンニク臭かったからか、すぐいなくなったし。
で、小一時間道に倒れていて、ちょっと落ち着いたからチャリンコで帰路につきました。半袖で。道中全然寒くないんですよ、それどころか、熱くてひたすら喉が渇いたという。自宅に帰ったら猛烈に異臭を放っているせいかお袋にお前はニンニクか?とか聞かれるし、トイレで腹痛パンデミックですし。
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で、このニンニク事件から15年後くらい、30歳前後の頃に、地元のお友達の結婚式に衣紋掛けとお呼ばれして岩手に行った時、衣紋掛けとこの話をしたんですよ、あれだ、ニンニクは食べ過ぎるとやばいなって。なつかしいねーもう無茶とかできないよなぁ年だし、とか言いながら話していたんですがね、その後すぐにわんこそばで勝負をしようと衣紋掛けに挑まれた訳です。
衣紋掛け、全く変わってねぇ
そう思いました。いや、その間にも色々挑まれたので知ってたけど笑。わんこそば勝負は、わたしが勢いよく100杯食べて、衣紋掛けとは差が開いていたんです。そしたら彼の一言が、
この野郎、100まで行きやがって
でしたからね。で、何とかヒイヒイいいながら100まで到達した衣紋掛けが一言、
あーあと1杯食べちゃおうかなぁ?
なんて言いやがるんです。腹に余裕がないくせに、ほんと負けず嫌いな衣紋掛け。なのでわたしは、
あと1杯行くなら10杯行こうよ。
付き合うから。
って、言ったら、まぁ100でいいか、お前も100杯でやめろと衣紋掛けの返答。もうほんとに素直じゃないんだから笑
しっかしまぁ、思い起こしてみたら彼とはもう衣紋掛けとは30年くらい付き合いがあるんですがね、ほんと変わらないなぁと。いや、改善しろって思うのではなくて、なんかそんな衣紋掛けを見ていると安心するんですよ。これで、なにかにつけて勝負とか言わなくなったら病気でもしてるんじゃないかと思うでしょうしね。
年をとっても変わらない事って、なんか落ち着きますよね。日曜夕方の笑点みたいに、ずーっとやってるよなぁとか思いつつも見れば何故か落ち着く。そういうのって身の回りに何かしらあってもいいと思います。
それで、話は最初に戻るんですが、中学生の頃にとっていた行動パターンは大人になってもそのままだなぁと思うのは、衣紋掛けはやっぱり今でも外で飲みに行ったりするとなんか変なことで勝負をしたがります。ビールの杯数を競うとか。わたしは冷静に考えればこのニンニクどばどば事件からラーメンにどかっとトッピングするのが好きになったと思います。さすがにもうニンニクではやりませんが、ネギとかやたらのせたいんですよね…
そんな感じで、14歳にベクトルが決まるってのは本当だよなぁと思ったお話でした。ニンニクのオーバードープは死を感じることができるので絶対におやめ下さい笑
なお、「自分の子どもが演奏していたので新しい音楽を好きになった」という自身の体験から、Frank T. McAndrew教授は親の世代に新たな音楽を気に入ってもらうことは不可能ではないと研究論文を締めていますが、30半ばをとうに過ぎたわたしは14歳の頃より間違いなく新しい音楽を聴いています。バンドリ!ガールズバンドパーティ!という女子高生がバンドを組んで新しい曲を出したり色んなジャンルの曲をカバーしていたりするリズムゲームをプレイしているからですね。きっかけがあればいくつになっても新しいことに挑戦するもんですよね結局笑
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