ソフトプロインターナショナルの軌跡

ソフトプロインターナショナルとはかつて大阪に存在していたゲームメーカー。創業当初は主に米国のゲームソフトメーカー「ブローダーバンド」のパソコンゲームの日本向け移植版を手掛けていた。その後任天堂ファミリーコンピューター(以下ファミコン)にて今でも伝説としてしばし語られる「カラテカ」を発売。本記事ではそんなソフトプロインターナショナルの創業から解散までを明示する。

 

ソフトプロインターナショナルの不思議

上記の記事にて有識者の方に教えていただいたこと、筆者独自に調べたことをまとめさせていただきました。情報の提供ありがとうございます。また、何分昔の出来事をまとめていますので間違い等もあるかもしれません。その際はコメント等でご指摘頂ければ幸いです。

 

目次

1.ソフトプロインターナショナルとは
  (a)組織解説

2.ソフトプロの作品
  (a)パソコン(FM-7・X1・MSX等)での作品
  (b)ファミコンでの作品
(b2)サーカスチャーリーの謎

  (c)ディスクシステムでの作品

3.ゲームソフト開発撤退後
(a)1990年代のソフトプロインターナショナル

4.余談
(a)開発者の遊び心
(b)電話でヒント

5.まとめ

 

(1-a)組織解説

ソフトプロインターナショナルの正式名称はソフトプロ株式会社(以下ソフトプロ)。ソフトプロの資本となっていたのは2023年現在大阪市浪速区に本社を置き家電量販店を展開する「上新電機株式会社」。ジョーシンの名称で店舗を展開し、プロ野球阪神タイガースのオフィシャルスポンサーとして有名な企業。

その上新電機の前身であるパソコンショップのJ&Pにより1982年10月に大阪府で設立されたのがソフトプロの前身となるアポロテクニカでソフトプロの基礎となっている。

アポロテクニカ名義でFM-7やMSXといったパソコンでのゲームソフトを開発・販売を行っていたが、1984年パソコン向けに米国のゲームソフトメーカーブローダーバンドの「ロードランナー」を移植発売したのがきっかけでソフトプロ(ソフトプロインターナショナル)名義にブランドを切り替えた。アポロテクニカは他にCOLPAX(日本コロムビアのブランド)販売、開発アポロテクニカでMSXのソフトを発売している。

なお、ソフトプロインターナショナル(Soft Pro International)とソフトプロ株式会社はポスター等当時の資料を見ていると、2つ並んで表記されていることがあったので同義として扱われていたと推測できる。また、ソフトプロインターナショナルとアポロテクニカは別の事業部としてソフトプロ株式会社内に同時に事業部があった時期も存在するという。

 

1982年10月 J&Pによりアポロテクニカが設立。パソコン向けにゲームを開発販売

1984年11月 富士通のパソコンFM-7、シャープのパソコンX1にロードランナーを移植販売したことをきっかけにアポロテクニカブランドから「ソフトプロ」ブランドへと移行を始める

 

(2-a)パソコン(FM-7・X1・MSX・PC88等)での作品

アポロテクニカ名義でのパソコンゲームソフトはOh!FM-7様のサイトをリンクさせていただきました。

 

ソフトプロ名義での作品
ロードランナー【1984年】超有名金塊集めのアクションパズル
チョップリフター【1984年】ヘリコプターシューティング
リバーチェイス【1984年】後ろから弾を打ってくるボートからボートで逃げる縦スクロールゲーム
スペアチェンジ【1985年】カジノがテーマだけどアクションパズルゲーム
ドロール【1985年】友達が妖術使いにさらわれたので助けに行くゲーム
エキサイティングパック【1985年】エイリアン・バウンズ、キュービィ、ハイパー・ブラストの3本が1セットなっている
ビジゴス【1985年】1画面固定のドンキーコングのようなギミックのあるアクションゲーム
ラビアン【1985年】ウサギが敵から逃げながら色々行うゲーム。マッピーに似てる
天才!ラビアン大奮戦【1986年】ラビアンのパワーアップリメイク作品。ジャンプができる
ダムバスター【1986年】疑似3Dのシューティングゲーム。PC-9801にも移植されている

※ゲームタイトル画面表記での年数で判断したので実際の発売年とずれている可能性があります。
※どのパソコンに製作・移植・販売されていたかは当時の資料が少ない為、正確には明記していません。ご了承下さい。

参考Youtube動画
Old Game Database(Japan)様
こあつゲー録 / Koatu GeRoku様
くしかつ Kushikatsu様
T GK様
MSXアーカイブス / MSX Archives様
トリン様

 

(2-b)ファミコンでの作品

カラテカ【1985年】
皆様ご存じ横スクロールリアル空手ゲーム。ゲーム開始時に左に行き過ぎると落ちてゲームオーバー。おじぎをしている時に攻撃されると即死…スマホアプリにも移植されているので未経験の方はぜひ遊んでみて下さい。

サーカスチャーリー【1986年】
コナミの横スクロールアクションゲームのファミコン移植作品。この作品に関しては疑問があるので次の項にて説明。

参考Youtube動画
spm moto様

 

(2-b2)サーカスチャーリーの謎

サーカスチャーリー (CIRCUS CHARLIE) は、1984年にコナミから稼働されたアーケード用横スクロールアクションゲーム。1986年ファミコンに移植・販売されたのが上記のソフト。ピエロのチャーリーを操作して複数用意されたサーカスの演目をこなしていくゲーム内容。チャーリーの動作はどのステージも左右への移動とジャンプのみだが、このゲームはジャンプのタイミングにかなりの重点が置かれており、また各演目でのチャーリーの操作に若干の「癖」があってアクションゲームとしてはなかなか難しい部類に入る。

しかしながらその各演目のチャーリーの癖にさえ慣れてしまえばクリアできるという、絶妙な難易度を誇りシンプルだけど奥深くスルメのようにじっくり味わえるゲームでもある。1980年中頃はゲームクリアをさせない為に理不尽な難易度設定がなされたゲームも少なくなく、サーカスチャーリーはクリアできる楽しさを子供に教えてくれた当時としては貴重なゲームだった。

そんなサーカスチャーリーの何が謎かというとこのファミコンゲーム、開発はコナミでソフトプロインターナショナルは販売だけを担当しているという。しかしながら1986年にコナミはすでにサードパーティとしてファミコン事業に参入し、ファミコンソフトをコナミ名義で販売していた。当時コナミはコナミ名義でファミコンソフトを販売していたのにも関わらずサーカスチャーリーはソフトプロインターナショナル名義での販売となったことが謎なのである。

あくまで推測の域だが、おそらく任天堂はアタリショックの再発を防ぐためファミコンのサードパーティに1980年代前半、ソフトタイトルの発売制限をかけていたのではないかと考えられる。アタリショックとは一言で説明するとゲームにもなっていない粗悪なソフトを乱発した結果ユーザーのゲーム離れが発生しゲーム市場が崩壊した1983年に実際北米で起きた事件の事。この事件を踏まえ任天堂はコナミに年間5本のタイトル数制限をしファミコンソフトの質を保とうとしていたと予測する。

この様な予測が立つ理由としてコナミが1985年に発売されたゲームソフトタイトルが5本(イーアルカンフー、けっきょく南極大冒険、ハイパーオリンピック、ロードファイター、ハイパースポーツ)で、1986年も発売されたゲームタイトルは5本(ツインビー、グーニーズ、がんばれゴエモン!からくり道中、キンゴコング2怒りのメガトンパンチ、火の鳥鳳凰編)だったことが挙げられる。

ただし最初のファミコンサードパーティ「ハドソン」の1985年発売ファミコンソフトは7本、次にサードパーティとして参加した「ナムコ」の1985年発売のファミコンソフトは8本だったのでサードパーティ契約をしたメーカーによって条件が違ったのではないだろうか。

また、1987年からはタイトル数制限を撤廃し、任天堂によるゲームの審査が行われていたと推測する。しかしながらこの審査は良作かクソゲーかどうかの審査ではなくあくまで「バグでゲームが進行できない」等の製品として機能するかどうか最低限の審査だったと思われる。この辺はどうしても当時ファミコンを開発していた人しか知らないことだと思うので有識者の方、ご教授願います!

以上のことからコナミに何らかのファミコンソフト発売制限があったためにサーカスチャーリーはコナミ開発のソフトプロインターナショナル発売だったと予想する。

 

https://www.youtube.com/channel/UCjuSyACqtoJEm3A1X87Zi6Q

昔コナミにいた世界の岡本さんなら詳しく事情を知っているかもしれません…

 

(2-c)ディスクシステムの作品

ブリーダー【1986年】強いロボットを作るゲーム
パルサーの光【1987年】宇宙船シミュレーション
19と書いて「ヌイーゼン」【1988年】戦争シミュレーション
爆闘士パットンくん【1988年】4人同時プレイができるバトルロワイヤルゲーム
フェアリーテイル【1989年】半リアルタイムシミュレーションゲーム

参考Youtube動画
Kinjo Game Channel 【Retro Games Playthrough】様
やまだくん様

 

フェアリーテイル発売後、ソフトプロインターナショナルはゲーム業界から撤退する。

 

(3-a)1990年代のソフトプロインターナショナル

ゲーム業界から撤退後、ソフトプロインターナショナルは企業向けにオーダーソフトの開発等、パソコン向けビジネスソフトの開発に完全移行する。1990年代ソフトプロインターナショナルで最も有名なビジネスソフトはカード型データベース「HYPER漢客」というパッケージソフトでカラオケのビッグエコーで使われていた。カード型データベースとは要は会員カードで顧客情報を管理するシステムの事で当時としてはかなり先進的なビジネスソフト開発を行っていたと感じる。

https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002394346-00

※参考・国立国会図書館

 

そんなソフトプロインターナショナルだがジョーシン内では微妙な扱いで、梅田から西天満に事務所移転後は拠点を家電販売店舗の一部を間借りし転々としていたという。余談だが梅田事務所を引き払う時に倉庫から大量の未開封のファミコン版カラテカが出てきて廃棄するというので社員で山分けしたという。ファミコンの開発マシンもあったそうで、これらがもし現存するなら値段の付けようのないお宝となること必須である。

のちにソフトプロインターナショナルはひっそりと解散。アポロテクニカから数えて10数年の歴史に幕を閉じた。

 

(4-a)開発者の遊び心

パソコン向けゲームで主にブローダーバンド社のゲームを国内向けに移植していた頃、当時はメディアとしてペラペラの5インチフロッピーディスクが主流で両面再生ができるため、フロッピーを裏返して差し込むとゲーム画面の天地が裏返るなど開発者の遊び心が感じられる演出もあった模様。

どのゲームでこの茶目っ気を披露していたのかは解らないので情報を知っている方がいらっしゃったら教えて下さい。

 

(4-b)電話でヒント

ファミコン向けのゲームを開発・販売していた当時は専用のテレフォンサービスのようなものがあり、ゲーム内容の紹介や攻略のヒントがもらえたりしたそう。ユーザーがダイヤルすると、女性の声で「パルサーのひかり、ひかり、ひかり…」と聴こえてきたという。ファミコンで電話と言えばもっとも有名なのは「中山美穂のときめきハイスクール」だが、ソフトプロインターナショナルもぬかりなくサービスを提供していたとの事。

 

(5)まとめ

家庭用ゲーム黎明期にはおそらくこのソフトプロインターナショナルのようにゲームを開発販売を行い、そして消えていったソフトメーカーというのは星の数ほどあるだろう。しかし、ソフトプロインターナショナル・アポロテクニカのパソコンゲーム、ファミコンソフトを子供の頃に楽しんだ方も多くいるだろうし、ネット社会なのに全然インターネットに情報が残っていないのは寂しい限りと感じ今回こうして有識者の方から貴重な情報も頂いたのでまとめさせていただきました。本当にありがとうございました。

個人的にソフトプロインターナショナルは1980年代のパソコン全般、そしてファミコンでソフト開発・海外作品の移植をしていたまさにソフトの「インターナショナル」な「プロ」集団で、スーパーマリオのような解りやすい名作は無く、どれもメジャータイトルのような華やかさはないけどいぶし銀のような深みのある個性的な作品を開発販売したソフトプロインターナショナルはすごい好きなソフトメーカーです。カラテカは未だにクリアできませんが…

ファミコンのカラテカ、サーカスチャーリーはまだ中古市場に出回ってますしファミコンやその互換機があれば遊べるけど、1980年代のパソコンゲームやディスクシステムのゲームはそろそろ環境を構築して遊ぶのが難しくなってきているのでレトロゲーム配信サイトで遊べるようになるといいなぁと思います。ただソフトプロ自体解散してしまっているのでゲームの権利は今どこでどうなっているんでしょう。ジョーシンがもしまだ権利を手放していないのであればすぐに任天堂のSwitchで配信して欲しいですね。フェアリーテイルとか遊びたいなぁ。

と、言うわけで以上ソフトプロインターナショナルの軌跡でした。まだまだ情報をお持ちの有識者の方からの連絡をお待ちしております笑

 

記事を作成するにあたり参考にさせていただいたサイト(敬称略)

ピクシブ百科事典 https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88%E3%83%97%E3%83%AD

Oh!FM-7 https://fm-7.com/museum/products/bx6g68fs/

Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF

Youtubeチャンネルの皆様

 

ソフトプロを教えて下さった有識者の方

TOM様
元ソフトプロ社員様

 

当サイトの他のレトロゲーム記事はこちらからご覧下さい。

https://ozfare.com/category/%e3%83%ac%e3%83%88%e3%83%ad%e3%82%b2%e3%83%bc%e3%83%a0/

ソフトプロインターナショナルの軌跡” に対して5件のコメントがあります。

  1. フェアリーテイル より:

    資本会社がジョーシンだとは思いませんでした!ビビった!ちびった!
    やったゲームはフェアリーテイルですが
    当時、辞書でフェアリーテイルの意味、調べましたよ!
    日本語だとおとぎ話のようになることを
    未だにないシミュレーションのパターンだと思います。1ターン式
    前身が19「ヌイーゼン」かな?
    フェアリーテイルは最後の面だけクリアできませんでしたが
    非常に白熱したゲームでした。思い出に残っています。
    忽然とゲーム業界から消えたので解散したのかと思っていました。
    課金が廃止というか安定したころ(課金が悪質だから)
    かつての作成者様が過去の思いを振るいおこしてくれたら、うれしいな~
    ちょっとでもちょっとでいいから新しいフェアリーテイルが見れたら!うれしいな~

    1. こんにちは〜コメントありがとうございます。
      ソフトプロがまさかジョーシンだとは思いませんよね😅わたしも初めて知った時はびっくりしました!
      今はNINTENDO SwitchやPS5、パソコンで昔のゲームが配信されていたりするのでソフトプロのゲームも配信されればいいなぁと思ってます😊特にディスクシステムのゲームは今から遊ぶとなるとハードを揃えるだけで大変ですからねぇ😃

  2. ななし より:

    ソフトプロのディスクシステムのタイトルは、記憶が正しければ、少なくとも90年代後半の時点で任天堂本社への郵送による書き換えが出来なくなっていた覚えがあります。
    そのため、パットンくん、ヌイーゼン、フェアリーテイルは当時レトロゲーム誌でも結構評価が高かったにも関わらず、ディスクの現物を入手するしかなかったので、プレイした事がない人も多かったのではないかと思います。

    しかも、レゲー雑誌が登場した90年代半ば当時は、マークIIIやディスクシステムなどは余程マニアックな中古ゲーム店でもなければ買い取り自体していなかった時代なので、人伝に所有者を探して少しずつディスクカードを集めるしかなく、青ディスクの入手には特に苦労した覚えがあります。
    何枚も重複したマリオ2やゼルダの伝説を、まとめて任天堂に送って様々なタイトルに書き換えしてもらっていましたが、返送時に付属するA4コピーの書き換え対応タイトル表の中で、明らかに版権使用権の期限切れと思われる芸能人ものや原作付きなどのタイトルに混ざって、何故かソフトプロの作品群だけに書き換え不能の取消線が引かれていたことが、いまでも印象に残っています。

    1. こんにちは〜コメントありがとうございます♪
      貴重なディスクシステムのお話をありがとうございます😊確かに90年中頃、プレステやサターンと言ったいわゆる次世代機が登場した頃ってゲーム屋さんでセガマークⅢやディスクシステムの中古って見なかったですね!
      任天堂に送ってディスクを書き換える方法は知っていましたが実際されたことのある方の話は初めて聞きました!😆期限切れ芸能人は光GENJIや中山美穂ですかねー😁その中にソフトプロのタイトルもあったんですね、貴重はお話ありがとうございます😊

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