Qちゃん

先日、エレメカバイキンマンの記事を書いた時にエレメカの事を調べててふと思い出したのがタイトルのQちゃんである。本日はそんなQちゃんのお話。エレメカってなんだよ?って方は先にバイキンマンの記事を見ていただいた方が本記事は楽しめると思います。

 

 

わたしが初めてQちゃんと会ったのは定かではないんだけれども、最古の記憶をたどると確か3歳位の時だったと思う。

 

今もそうなんだけど、うちの2階は増築をしたせいか間取りが少し変で、廊下がなく部屋の奥に部屋があるのですよ。図にするとこんな感じで、

 

部屋A←階段→部屋B→寝室

 

と、なっている。当時寝室だった所が今はわたしの趣味部屋となっていて、近所のお友達が来たりするとそこでお酒を飲んだりファミコンをして遊んでいるのだが、わたしが小学校に上がるくらいまではこの寝室に親父とお袋、わたしと妹で寝ていたのである。

 

それである日の朝、まだ小さかったわたしが目覚めて寝ぼけ眼で寝室から階段を目指していた時に部屋Bに違和感を感じる。普段は通路みたいな部屋なんだけど、布団が敷いてある。が、脳みそが半分寝ていたからかだろうか、布団の上をそのまま歩いていこうとすると、むにゅっと思いっきり何かを踏みつけてしまう。

 

おそらく幼くて「部屋Bに家族以外の誰かがいる」という事を思いつかなかったし気づけなかったのだろう。だから普段はない布団でも違和感なく踏んで行こうとしたのだと思うが、思いっきり踏んだ割にはその踏まれた方からは何のアクションも起きなかった。ちなみに、枕を寝室側にしてこの人は寝ていたのでわたしが踏んだのは顔面だったのだがピクリともしなかった。

 

稚ながらに、うわーこの人、顔を踏んだけどピクリともしないんだなぁって思いながらまじまじと顔を眺めたのを今でも覚えていて、痩せ型でちょび髭の踏まれても起きないおじさん、それがわたしが初めてQちゃんとあった時の話だ。厳密に言えばもっと昔、わたしが赤ちゃんの時に会っているかもしれないけどさすがにそこまでの記憶はない。

余談だけど、QちゃんはQちゃんの他にQ太郎なんても呼ばれていたから「おばけのQ太郎」よろしく本名なのかと思ったら名前に「久」が付くからQちゃんというあだ名だったとお袋に教えられたのは大分後のことだ。

 

それで、後から聞いた話だとよっぱらった親父が一緒に飲んだ人をそのまま自宅に連れてきて部屋Bに寝せてたのはそんなに珍しい話ではなく、Qちゃんもその中の一人だったのだけれども、次にQちゃんとあった場所が割と強烈だったので彼のことをわたしはよく覚えているのだろう。

 

Qちゃんを踏みつけた後、しばらく時間が経ってからお袋と街に出た。どうして街に行ったのかは覚えていないけど、場所は仙台駅前で今はEDENという複合施設がある辺り。そのビルの上の方にエレベーターでお袋と昇る。お店のドアを開けると、割と大きめの音量で流れる音楽と、きらびやかに店内を彩るミラーボールがくるくると回っていて、奥の方では誰かが踊っていた。

 

手前のテーブルにいたのが親父と、やっぱりちょび髭のQちゃんだった。よぉーなんて髭のダンディーは話しかけてきたので、ここはどこ?みたいな感じでわたしは聞いたのだと思う。そして、Qちゃんの答えが、

 

「ディスコだよ」

 

だった。実際そこで何をしたのかなんてのは全然覚えていないけど、Qちゃんがディスコだよって言っていたのは覚えているんですよね。それだけその店内の空間が自分の生活の中では異質だったんでしょうな。

 

と、言うわけで一度目に会った時は自宅で顔面を踏んづけ、二度目に会った時はディスコだったQちゃんは親父の会社の先輩で、社会人になった親父がQちゃんの影響を受けているのは吸っているタバコが同じだったり車の趣味が似ていると言うところで子供ながらになんとなく解った。

幼いわたしには気さくなちょび髭のダンディーなおじさんにしか見えなかったのだけれども、お袋曰くQちゃんはいわゆる「シティ・ボーイ」だったという。…今にして思えば確かに男の色気がある人だったかもしれない。

 

そんなQちゃんと親父は仲良しでよく一緒に飲み歩いたり遊び歩いたりしていたそうだが、わたしが幼稚園の頃にQちゃんは親父の務める会社を退職し、Qちゃんの地元である関東へと帰っていってしまった。と、このことも大分後から聞いた話なのだけれども。

 

そして、わたしが幼稚園年長組の時の話となる。35年くらい前の出来事なので記憶違いの部分がいささか見られるかもしれませんがその辺はご了承下さい。

 

 

わたしが6歳くらいの事なので妹は3歳くらい、両親は20代後半くらい、特に目立った派手さもない、普通の家族。それにじじばばをプラスした拡大家族で当時うちに住んでいた。その日は、普通にわたしは幼稚園に行き、午後一番におうちに帰ってきて、今からまったりとファミコンをプレイしたいなぁなんて呑気に考えていた所、お袋が血相を変えて、わたしにこんな事を言ってきた。

 

ほら、早く準備して!着替えとかは持ったから、制服を着替えなさい!!

 

え?

 

最初、まったく意味が解らなかった。え?え?どうしたの?とお袋に言うと、いいから、早く早く!と、わたしをひたすら煽る。仕方がないので、お袋につられて急ぎ、着替えをして出かける準備をさくっと終わらせると、妹共々お袋の買ったばかりの愛車「三菱ミニカパセリ」にたたき込まれ、出発。向かった先は仙台駅だった。

 

え…駅?と、考える間もなくお袋に車からひきずり出されて、そのまま駅の改札口へ。そこまで行くと、見慣れた顔が…お袋のお母さん、すなわちばあちゃんがそこにいた。あれ?なんでばあちゃんがいるの?と、思った途端ばあちゃんはお出かけしようと言いながら、うちの妹を連れて行ったのである。

 

で、妹を見送るとお袋はわたしの手をひっぱり改札の中に連れて行こうとしたのだ。ここで、いよいよ何かおかしいと気づくおよ少年。ちょっと待って、どこにいk…

 

 

いいから!!

 

まぁ、お袋って昔からヒステリーな所がありましたがね、思いっきり一蹴されてシュンとしてしまうおよ少年…気が付いた時にはもう電車の中にいた…って、これ電車…??

 

あー間に合った(笑)

 

お袋はニコリとしながら、わたしにそう言う。ああなるほど、怒っていたのは電車に間に合わなそうだったから焦っていたからなのね。とは思ったものの、やっぱり全く訳も解らないまま、ぼけっと電車の席に座っているわたし。それにしても、なんかやたら早くないかこの電車…なんて思っていると、その疑問を見越した様にお袋はわたしにこう言ってきた

 

どう?初めての新幹線は?

 

え?これ新幹線なの!!

 

新幹線自体の開業は1964年からだけど、東北新幹線…仙台から東京(上野)までの新幹線が開通したのは1985年のこと(盛岡ー大宮間は1982年開通)。もっと小さい時にもしかしたら新幹線に乗車しているかもしれないが、ハッキリと新幹線に乗ったと覚えているのがこの時である。

比較的東北新幹線で東京に行けるようになってから新しい時期に乗車したのだけれども…絵本やテレビで見て憧れていた新幹線…いつかは乗りたいなぁと思っていたスピーディな新幹線に、まさかこんな訳も解らずわたしは乗車いたとは…どおりで速い訳だこの電車って、てか、何で急に新幹線に乗らなきゃならないのだ…戸惑いながら、お袋に、どこに行くの?と尋ねると、

 

 

ヨコハマよ

 

何て言う。ヨコハマ…当然この時幼いから土地勘なんてないし、東北の片田舎から出た事のないわたしにはヨコハマがどんな街なのか皆目見当が付かなかった。てか、そこに何しに行くの?と追撃して尋ねてみると、

 

いやねぇ、今日おとうさんヨコハマにシュッチョウなんだけど、おうちに大事なモノ(おそらく仕事で使う用の資料とかだと思うんだけど親父もお袋も失念してる笑)を忘れていってね、今日中に届けなきゃいけなくてね。おかあさんが届ける事になったんだけど…

うん、何かよく解らないけど、どうしてわたしとお袋でヨコハマに行くのか…妹はどうしてばあちゃんに連れて行かれたのか。なんて疑問を抱いたわたしに割と長く乗車した新幹線の中でお袋は説明してくれた。

 

同居していた、親父の方のじじばばの意見=明日は休みの日だけれど、じいさんが仕事(バスの運転手だった)なので孫二人を見る自信がない。およはうるさいから大変だし。というか子供を預けるなら母方の親のほうがいいだろう。

 

お袋の方のじじばばの意見=二人とも休みだけど、およはヤンチャなので大変。妹だけなら見てもいいよ。

 

だから、あんたは私と一緒にヨコハマに行くのよ。と、お袋。

 

大人の事情ながら子供なりになんとも言えない感情になる笑

 

つまり、わたしがクソガキだからお袋と共に今いるのね…と、若干落ち込んでいるとお袋がフォローと言うか、今にして思えば後付論なんだけど、

 

「ほら、およが新幹線に乗りたいって行ってたからね、丁度いいかと思って」

 

まぁ、賢い子ならここで丸め込まれてると気づくんでしょうが、当然のようにわたしは、この台詞でぱああああああっと開花するかのごとく心が開きまして、新幹線に乗りたいって言っていたから、お袋が乗せてくれたんだーとか感謝感激雨霰ですよ。ええ。実際初めて乗る新幹線はやたら速くてスピーディーで、快適で、

 

とても眠くなりましたし。

 

すっごい乗りたかった新幹線に乗ったのに、話を聞き終えたらあっという間にわたしは寝てしまいました。まぁ、寝れるって事はいい乗り物なんですよね新幹線って。きっと。たぶん。

 

 

ふと気が付くと、目の前に親父がいた。寝ぼけながら、おう、ありがとうな、じゃ…夜に…とかそれだけを言って、別にわたしに声をかける訳でもなく…まぁ、きっと親父はわたしが寝ていると思ったのだろう。わたしはお袋におぶさったような形だったし。

で、寝ぼけた頭が徐々にはっきりとしてくる。周りの景色をぼけーっと眺めてみる。まだ、駅の様な場所…その入口にいるみたいだ。

 

 

時刻はもう夕方かな、夕日に晒されてオレンジ色の景色に染まったのは、高くそびえ立つビル群…今にして思えばそりゃ東京の都心に比べたらそうでも無いんだろうけど、この時のわたしにはそのビル群に妙に感動した記憶がある。仙台にも当然ビルはあるけど、その密集率がまるで違う…そうか、ここがヨコハマなのか…

 

してお袋さんよ、親父にはにもう会ったんでしょ?これからどうするの?と、聞くと「うん、今日はヨコハマに泊まって行くのよ」と回答するお袋。そういうと、とぼとぼと歩き出すお袋。

 

5分ほど歩いた所で、建物に入るお袋。よくその辺にあるビジネスホテル…だけど、

 

私達が泊まるから、おとうさん部屋広くしてくれたのよ、とお袋。フロントで手続きをして、部屋に入ると、ベッドが2つ。いわゆるツインルームですな。覚えている限りだと、この時わたしはホテルも初体験。白い壁な、無機質な空間にまた気分は妙に上昇する。

 

で、やや興奮していると荷物を置いたお袋に、また手を掴まれて引きずられ部屋を出る。え?どこに行くの?と聞くと、また得意のいいからいいからだった。そのままフロントまで行くと、

 

「わぁ久しぶりー」

 

なんて声が。お袋も、お久しぶりですなんて言っている。誰だろうと、まじまじとわたしはその女性の顔を見ると…お袋とそんなに年の変わらない女性だ。訳も分からずぽかーんとしていると、

 

およくん、おっきくなったねーなんて言う女の人。おっきくなったねーと言われても…と、思っていると、ささ、行きましょ!なんてその女の人の車にお袋共々乗せられる。まだ時間があるからね、なんて女の人。どうやらドライブをする様で。

 

女性の運転する車から見るヨコハマの様子は、とてもきらびやかで…都会ってこんな感じの景色なんだなぁと思いつつ夜も暮れて、夜景に映し出されるネオンサインが…子供のわたしにはとっても眠気を誘い…

 

 

ふと気が付くと、いつの間にか車から降りていて、わたしはお袋におぶさっていた。あぁまた寝ていたのかなんて思いつつ周りを見渡すと、さっき車の中からみたきらびやかなネオンサインより派手な場所にいるじゃないですか。なんてか…あ、あれだ。ファミコンのイーアルカンフーとかスパルタンXとかで見た事があるような景色!

 

どうだ?ヨコハマ中華街は?

 

なんて言ったのは、さっき駅で別れた親父じゃないか。してその隣には、ちょび髭の生えた痩せ気味のダンディーが。

 

おう、およ久しぶり。おっきくなったなぁ。

 

なんて言うダンディー。だからさ、さっきからおっきくなったなとか言われるけど、女の人もダンディーも知らないんだけど…ん、あれ、このちょび髭のダンディーは…なんて思っていると、

 

お、何だおよ。俺の事、もう忘れたか?QだよQ!

 

あ、Qちゃん、そうだQちゃんだ。って事はこの女性はQちゃんの奥さんかな?久しぶり…だけどなぜにヨコハマに…?(この時Qちゃんが仙台にいなかったことを知らなかった)わたしが思い出して言うと、じゃあ早速店に入るかーなんてQちゃん。どこにってわたしが聞くと、中華街だもん中華屋だよ。なんて言い返される。

まぁ、そうなのか…なんてとぼとぼ歩き、ここの店だよ!なんてQちゃんが店の前でピタリと止まると、お袋がギョっとしたのが解った。そして親父に小声で、

 

絶対高いよこの店…

 

なんて囁いてるじゃないですか。親父は今も昔も呑気なもんでいいからいいからとか言っていると、スタスタとQちゃんとその奥さんはさっさと中に入ってしまいまして。ビビリながらお袋と中に入っていくと…

 

まぁ、あれですね。ジャッキーチェンやブルースリーの映画に出てきた様な、赤い柱に白い壁、そこによく解らんじゃらじゃらした飾り物があって、部屋の真ん中にはでかく赤くれ丸い円卓…あ、これクルクル回るんだな…と、さっそく子供ながらに興味を持ちテーブルをさわり出すと、

 

お袋からげんこつ笑

 

まぁ、どこの家庭でもお決まりですよね。でも、子供だもの珍しいものはさわりたくなるのよ…気に入ったか?なんてわたしに言ってくるQちゃん。気に入るとか気に入らないとかじゃなくて、何か不思議だねこのお店、なんて言った記憶がある。お袋がビビっているサマから、何とも高級なお店にいるのは間違いないし…で、

 

とりあえず、メニューを見ずにビールを飲み出している親父とQちゃん。

 

酒だ酒!じゃんじゃんもってこい!と、Qちゃんはウエイターの人に言っていたがわたしこのよくドラマや漫画である台詞をこの後リアルで言った人をQちゃん以外に知らない…で、まるでマラソンの後のポカリスエットと様にガブガブと酒をかっこむ二人。

 

なるほど、酒はこうやって飲むんだな。

 

と、子供のわたしはインプットされた。そんなわたしが大人になったらどんな酒の飲み方をするようになってしまったのかは皆様がご存じの通りである。しっかしこの親父とQちゃんのやりとりが面白い。

 

円卓のまわる部分にグラスが空になると置いて、それを見たらくるっとテーブルをまわして空のグラスを自分の所に持ってきて、氷と瓶のお酒(多分紹興酒か何か)をどばどば注いで、テーブルをくりっとまわして相手の所へグラスを送る…をお互い繰り返していたんです。

 

奥さんとおよちゃんも食べなきゃねぇと言いながら、適当にQちゃんの奥さんが注文してくれた料理をわたしが取ろうとしてテーブルをまわそうとすると、

 

バカ野郎!邪魔すんな!!

 

とか、大の大人二人に怒られるのです。結局お袋と、Qちゃんの奥さんが席を立って料理を取り分けてくれるという…

 

なるほど、回転するテーブルはお酒を注ぎ合う為にあるんだな。

 

と、子供のわたしはインプットされた。そんなわたしが大人になってもこのような高そうな中華屋で回転テーブルにあった事がないのでこれをした事は無いのだが…まぁ、そんな様子を見てこの二人はやっぱり仲がいいんだなぁなんて思ってました。

 

で、一軒だけでは当然のように宴は終わらず、中華屋のお会計でQちゃんの奥さんがいいからいいからうちが出すからと言い、うちのお袋がまた血相を変えて、いやこんなに高かったしうちも出しますから!なんてやりとりはガン無視して、すでに千鳥足で夜のネオン街へと消えそうになる親父とQちゃん。

 

それに気づいて慌てて後を追う女性ノンアルコール組…二軒目は、落ち着いた感じのショットバーでしたね。それこそ漫画「レモンハート」に出てくる硬派なバーみたいな。髭のダンディーなQちゃんにゃこれまた似合うお店だな。なんて思いながら、ウトウトしだすわたし。満腹で、またバーの照明控えめな雰囲気って子供ながらに眠くなるんですよね…お袋が、いい加減にしなさいとか親父に罵声を浴びせている様な…

 

 

ふと、気づくと…ベッドに寝かされていまして。白い壁、隣にはもう一つのベッド…あ、ここはホテルだな。と、すぐに理解するも、親父とお袋の姿はない。電気も点いてるし…時刻は…午前3時…

あれ、どうしたんだろう、なんで一人で寝ているんだろう…ってやっぱり子供ですから不安になりますよね。で、部屋をうろうろすると、テーブルの上に書き置きが。紙には、こう書かれていまして。

 

 

「とうちゃんゲーゲー、びょういんにいってきます。ねててね。ははより」

 

6歳児ほっぽり出していいんですか笑、なんて思うもだからといって幼いおよ少年にはどうしようも無いですからね、そのまま不安に煽られつつ、布団に入って寝ました。でも、これまた親父が酔っぱらってぶっ壊れるのはまれによくある出来事だったので、親がいなくてパニックになると言った事はありませんでしたね。いつの間にか寝てたし。

 

で、朝。ぱっと起きると、やや不機嫌そうな顔でテレビを見ているお袋の姿が…親父はいない。おはよう、と声をかけてみると、

 

 

母は殆ど寝てないから機嫌悪いから。

 

 

と、寝起きに言われまして。聞けば昨晩、ぶっ壊れるまでバーで酒を浴びてこりゃまずいとわたしを抱え、親父を引きずりタクシーに乗ってホテルまで帰るも、延々と親父がケロリーンして、しまいにゃヒキツケと痙攣発生みたいな感じになったので慌てて救急病院に行ってきて、自分は気絶しながら点滴を受けてさ、朝にはけろっとして仕事に行きやがったっての、こっちは心配して寝てねえのに!!

 

と、この後一日、何かあったらすぐに逆鱗に触れてしまいそうな感じのお袋に気を使いつつ、新幹線で仙台まで帰ってきたってだけのお話なんですが、新幹線、ホテル、バー、そして横浜中華街に回転するテーブルと、わたしにとって初めて体験してとても刺激的な事で、どれもちゃんと思い出として噛みしめたいなぁって感じなのに、それらを全部酒がかっさらって行ったという笑

 

この出来事の数年後にヨコハマへQちゃんを尋ねて家族で旅行に行ったりしたんですが、海に連れて行くと言われ、人工海岸なので海岸に真っ黒のマットが敷き詰められていてびっくりしていたら、やっぱり親父とQちゃんは二人でガッツリお酒を飲んでいて悲惨だったとか、Qちゃんの家に呼ばれてQちゃんの娘とファミコンのファミリージョッキーという競馬のゲームで対戦をしていてあたしが勝ちそうになると、

 

 

てめえうちの娘に勝つってのか!

 

と、酔っぱらったQちゃんに怒られ、何故か酔っぱらった親父に蹴られたりと、そんな無茶苦茶な記憶しかないんですがね。

 

まぁ、そんなQちゃん、若くして頭の中にやっかいなできものができてしまいずっと入院生活をしていたそうで。今から10数年前、Qちゃんが亡くなった日にわたしは丁度実家にいたんですが、知らせを受けた親父があんなにも凹んだ姿を今まで見た事がありませんでした。あぁ、本当に仲がよかったんだなぁと…

 

後日、Qちゃんの葬儀に両親は参列してましたが、お棺の中のQちゃんは元々痩せていたのにさらに痩せこけていたけど、やっぱりチョビ髭だったとか。トレードマークでしたから、奥さんが亡くなった後にひげを揃えたみたいです。うーん何とも言えませんなぁ。

 

そんな初めてのヨコハマは酒に溺れる大人二人の記憶しかありませんし、わたしもお友達はいるけど中華屋の回るテーブル…くるくる回る中華屋のテーブルで、お酒の注ぎあいはしたこと無いもんなぁ。当時の親父とQちゃんの年齢より最早上ですから、わたしもそろそろテーブルをくるくる回してお酒の注ぎあいをやってみたいもんですな。

 

と、いう子供の頃に初めてづくしを味わった事と、親父のお友達のお話でした。で、このようなお話でなんでエレメカを思い出したのかと言うと…話はお袋と二人で電車と新幹線を乗り継いでヨコハマから仙台まで戻ってきた時の事。

 

駐車場に一晩預けた車を出庫して、向かったのは母方のじじばばのおうち、つまりはお袋の実家。預かってもらっていた妹をピックアップしに行ったんですよ。で、お袋の実家について3歳の妹が現れてわたしは驚愕した。妹は…

 

 

両手いっぱいにボンタンアメを抱えていたのです!

 

ボンタンアメは鹿児島県にあるセイカ食品株式会社が製造販売する飴菓子。甘さの奥に少し感じるボンタンの風味が特徴の柔らかい飴なのですが、当時この飴はわたしの中では普通に購入するものではなかったのです。ではどうやって手に入れていたのかと言うと…

 

 

 

ネットにあった動画を貼らせて頂きました。

 

これです。

 

これは「坊主めくり」というエレメカゲームで、単純に坊主の札を避けて姫の札を選ぶゲームなのですが、4回のチャレンジで3回姫を当てると景品が貰えて、その景品がボンタンアメだったんですよ。1プレイ100円で必ず取れるわけではないボンタンアメを大量に抱えているって事は…

 

当時、仙台駅前の今はAEONになっている読売仙台ビルって百貨店のダイエーが入っていたのですが、そのダイエーの8階ってワンフロアまるまるゲームコーナーというわたしにとっては天国の楽園みたいな場所だったんです。そして、坊主めくりが設置されていてよく遊んだのがその楽園だったわけです。つまり、

 

 

 

仙台に残った妹は、ばあちゃんの潤沢な資金によって滅茶苦茶ゲームコーナーで遊んでいたわけです!!

 

 

ああああっ!

 

 

わたしは酔っ払った親父のおかげで一人寂しく不安な夜を過ごしたというのに!妹は!楽園で!げぇぇぇぇむぅざんまいぃぃぃぃぃ!!

 

 

と、妹の抱える沢山のボンタンアメを眺めて心の中で血の涙を流したのです笑。もちろん妹ばっかりずるいわたしもゲームしたい、なんて言ったらお袋にぶん殴られるので言いませんでしたけど。

 

と、言うわけで、

 

親父がQちゃんと中華屋のテーブルをくるくる回して酒を注ぎあってるのを眺めていたら、妹はダイエーのゲームコーナーですごい遊んでいて羨ましくて嫉妬で狂ってしまいそうだったってお話でした笑

 

そういや坊主めくりってまだ設置があるんですかねぇ…ダイエーのゲームコーナーが無くなってから久しく出会っていないのだけれども、あったらまたプレイしてみたいなぁ…

 

しっかしアレですね、大人になってもゲームバカはやっぱり思い出もゲームで覚えているんですね。自分でもびっくりです笑

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