葬式クエスト ばあさんの場合

うちの麦茶が甘い。これは少数派らしいことに気づいたおよが小学校二年のこの季節。当時住んでいた家の近所にいるわたしより一つ年上のゆうちゃんちで麦茶をご馳走になったことがきっかけである。

 

それまでも何度かゆうちゃんちで麦茶をいただいていたのだが、あまり気にしていなかった。しかし、物心が付いたからか、ゆうちゃんちの麦茶が甘くないことに疑問をもったのだ。それでゆうちゃんに何でゆうちゃんちの麦茶は甘くないのかと尋ねると、

 

「およちゃんちの麦茶は何で甘いの?」

 

と、逆に聞き返されてしまった。聞き返されついでに、麦茶は普通甘くないとゆうちゃんに追撃までプレゼントされ、そんな…じゃあなんでうちの麦茶は甘いんだ…と、遊び終わりうちに帰ってからばあさんになんでうちの麦茶は甘いのかと尋ねると、

 

「うるせえ」

 

と、一括された若かりし日のおよ。どうやらばあさんは昼下がりのワイドショー的なモノに夢中だったらしい。今でもおよ家の麦茶は何で甘かったのかは謎のままだが、ひとつ言えるのがこのばあさんが犯人だと言う事は当時少し考えたら解った訳でして。そういや出されるご飯出されるご飯どいつもこいつも甘かったりえらいしょっぱかったりと極端な味付けでしたから。

 

そんなばあさんが死んだとおふくろから連絡が入ったのはわたしが転職し通勤のために天空から海近くに引っ越して落ち着いた30代初めの頃。ばあさんは末期癌だったのでそう長くは持たないと聞いていたから仕事の合間ちょくちょくお見舞いに行ってはいたのだが、結局最後には立ち会えず。前日に血中濃度がなんたらで今日明日辺り危ないと医者から聞いていて、一日およ一族で病院にいたのだけど、ばあさんに話しかけると返事こそ無いものの頷いたりはしていたから夜におばさん(わたしの親父の姉)を残して一旦解散していたのだった。解散して数時間後の夜中にまた招集がかかるとは…

 

じいさんの時もそうだったけど、医者が今日やばいって言った時はドンピシャで当たるんだなぁとしみじみ思いながらも急いで身支度をして、ニューだけどポンコツなので通称ぬービートル(黄色)に乗り込み、病院を目指す。BGMがわりにと流したカーラジオからは、ガンガンヘヴィメタさんがかかる番組だったのに個人的な違和感を感じつつひたすら車を走らせる。普段だったら妙にテンションが上がるんだけどなぁ。

 

病院に着くと、親父とおじさん(親父の姉の旦那)が一服している。海沿いの住処からばあさんが入院していた病院までの距離が結構あり、到着が一番遅かったようだ。挨拶をして、ばあさんの所には行かないのかと親父に尋ねると

 

「ばあさん?今風呂に行ってんだよ」

 

と、親父。

 

風呂?と聞き返すと、どうもばあさんが終の棲家に選んだ「緩和ケア」ってプランだと、亡くなった時にお風呂に入れてもらえるらしい。へーとわたし。

 

この緩和ケア、今回身内で初めて利用したのだけど、へーと思った部分が結構多い。誰もが訪れる死というイベントについて個々の価値観や考え方があるだろうからさらっと書きますが、わたしが個人的に思ったのは治療を施さない反面痛みだけはきっちり麻酔で取り除き、病棟だけどお見舞いは24時間自由、携帯自由、余生の過ごし方も自由と、ある種自然の形で最後を迎えられるので、自分が余命宣告をされたら是非利用したいと思いました。

 

じいさんの末期は、胃ろう(食道の部分に穴をあけて食事を流し込む)を行ったり、薬を使ったりしてなんとかかんとか延命の末の絶命…今回の緩和ケアで無理に延命させなかったばあさんと、じいさんの時とどっちが本人にとって幸せなんだろうなぁなんて親父としみじみ語っていたら、妹からばあさん風呂から上がったよ、と携帯に連絡が入り病室へ。

 

程なくご対面…すると、看護師さんがなにやらメイク道具を駆使して、顔に化粧をしている。看護師さんはこちらへ気づき軽く会釈をし

 

「入院中はお化粧できなかったですからねぇ…」

 

なんていう。うん、やっぱりそういう些細な心遣いを受けるとは…いいね緩和ケア…そんでもって、風呂に入り、化粧を終えた亡きばあさんと対面。チークが効いているからか寝てるようにしか見えない。おばさんが目頭を熱くさせながら、そんなに苦しんだ様子もなかったし…静かに息を引き取ったよ…の一言で、一族はすすり泣き。この空間、何度立ち会ってもなんとも言えない。

 

しばらくして、落ち着いた頃か。さて、これからどうするか?って時に親父があたしの肩をポンと叩いた。ん?これって…って思った瞬間、親父がこうポツリと呟いた。

 

 

よし、後はお前にまかせたぞ!

 

…ああ、やっぱりそうきますか…多分そうだと思ったよ。これはある家族が故人を最早宴会葬、そして息子に全部葬儀を押しつけた喪主のドキュメントであり、その役立たずな息子の記録である。悲しい話ではやっぱりないですし、こんな事を書くことで故人の賜れになればと思いますわ。

 

して、そうと決まってしまったらぼんやりはしてられない。早速じいさんの時に利用させてもらった葬儀屋さんに連絡を取り、自宅までの搬送をお願いする。枕経(お亡くなりになってからすぐに拝んでもらうお経)を含め、葬儀の段取りをつけるためにお坊さんの手配もしたかったのだが、流石に明け方というよりかは深夜だったのでお坊さんへの連絡は朝まで待つことに。

 

それで、ばあさんの搬送は親父に任せて、わたしと妹でばあさん宅へ向かう。闘病生活が長かったので、留守がちの家を掃除するためだ。弔事ともなると近所の人も集まってくるだろうし。じいさんの時はばあさんがまだ元気があったのでこの心配はなかったし。

 

早朝5時、途中コンビニで適当におにぎりや飲み物を買い妹と共にばあさん宅へ到着。中は思ったより汚れていなかったものの、妹と掃き掃除をする。途中おじさんもやってきてさくさくっと中片づけを終え、外の雑草取りを始めた所で親父到着。ばあさんとはおばさんが一緒にやってくるらしい。さくさくっと居間の隣に布団を敷くと、程なく葬儀屋さんとばあさんがご到着。これまた慣れた感じでさくさくっとばあさんを布団に寝かせる。

 

なんていうか…じいさんに続き2回目ともなるとみんな慣れたもんですね。誰がどうしろとか言うまでもなく、どうのこうの言うわけでもなく、着々と葬儀へ向けての準備が進む。最後にお袋がお坊さんに連絡して一段落。

 

 

 

ただ一人、ひたすら外でタバコを吹かしていた親父を除いて

 

みんな働く働く。おにぎりを頬張りつつ、お坊さんの到着を待つ。枕経という、故人がおうちに帰ってきてから最初にあげてもらうお経を待っている。葬儀の日程はお坊さんとの兼ね合いがあるので、葬儀屋さんがいても勝手には進められない訳で。

 

して、外でタバコを吹かしていただけの親父が4つ目のおにぎりを食べ終わる頃、お坊さんが到着。さくさくっと枕経をあげて、さくさくっと葬儀の段取りに移る。葬儀屋の方もじいさんの時と同じ人だったので非常に話が早い。じいさんの頃のモタモタ感とのギャップに、2回目ともなるとこんなに違うもんなんだなぁと思っている間に枕経終了。お坊さんとの打ち合わせに入る。

 

葬儀の日程も、カレンダーをパッと見てパッと決める。こりゃ今回何にも悩むこたないんだなぁと思っていると、一族がうーんと固まる場面があった。それは、お坊さんの「戒名の参考にしますので、個人の性格を教えて下さい」という一言だった。

 

じいさんの時は答えになったのかなってないのか解らないけど、「公務員です」という一言でカタが付いたけど、ばあさんは…みんな何て言ったらいいのか解らないという表情をしていて困惑している様子。うん、仕方ない。ここは孫代表でわたしが人柱になるか…

 

 

「一言で言ったら破天荒です」

 

そう、もうストレートにお坊さんに告げるわたし。はい?とお坊さんが聞き返したので、もう一回「破天荒です」というわたし。うーん…とお坊さん。しかし、一族は納得したようだ。ああ、そうだなとか、それ以外に例えられないね、とか…

 

何て言うか、身内の事を破天荒だなんて言うのはどうかと思いますがね、それ以外本当に無い訳でして。本能のままに生涯を終えたばあさんの伝説を少し書き出してみると、

 

 

その1,テキ屋のおっちゃん事件

 

お祭りの場って、テキ屋のおっちゃんがやっているくじ引きのお店なんかあったりするじゃないですか。普段で歩く事がない夜の時間に外にいるのと、あのお祭りの独特の雑踏がいい感じで混ざってああいうちょっぴりギャンブル的なくじってわたしゃ好きだったんです。よくよく考えれば当たりの存在が怪しいことくらいは解っていたんですがね、それでも引いてしまう。

 

ある、うちの近所の公園でお祭りの時、その日も例に漏れずわたしはくじを引いて、はずれもはずれ、1回300円だかのくじを3回引き、消しゴムの出来損ないみたいなオモチャを3つ持って帰宅したのです。そりゃクジですからはずれもあるだろうけどこれはなぁ…って思いながら…

 

して、家に帰宅した時たまたまばあさんに見つかった訳です、その消しゴムの出来損ないみたいなおもちゃを。で、それどうした?って聞いてきたので、いや、くじ引きで…とあたし。一回いくらよ、とばあさん。1回300円だったよ、とわたしが喋り終わる前に…

 

があああああああっっっ!

 

と、発狂するばあさん。ビクっと、こりゃあたしゃ無駄遣いしたって怒られるのか…と覚悟をすると、つっかけを履いて外へ出て行くばあさん…まさか…

 

と、後を付いて行くと、案の定お祭りの場へ。くじ引きの屋台を見つけるや否や、

 


ガキ相手に因果な商売をしてるんじゃねえ!

 

と、テキ屋のおっちゃんに怒鳴り散らすばあさん…まぁ、この怒鳴り散らした方が、普通のおっちゃんならともかく、テキ屋な方って、ほら、ヤのつく自由業的なあちらの方っぽい人が昔は多かったじゃないですか。実際はそうでなくとも、怖い感じの人というか…このくじ引きのおっちゃんも例に漏れませんでして、

 

おいババア、うるせえ殺すぞ!

 

とか言っちゃったんですよ。孫からしたらもう目眩ですよね…したらばもう、

 

あー死にたい死にたい殺してみろ殺してみろ!

 

とか、ばあさんが反撃しちゃいまして…

 

もうお祭りどころの騒ぎじゃなくなっちゃいまして。

 

目眩でくらくらしてその後の事はよく覚えちゃいないんですが、プロ野球で血の気の多い助っ人外国人にデッドボールを直撃させてしまいみんなマウンドの真ん中に集まっていくかのような状態だったような気がしたのと、その後近所のお祭りにはわたしは参加しなくなったって事ぐらいは記憶の片隅にありますね。何て言うか、モノの言い方って大事ですよね、ええ。今でこそyoutubeでヒカルさんが祭くじの闇を暴くなんて動画載せてバズってましたけど、この大乱闘がビデオに残ってたら再生数は億いっただろうな…動画のタイトルは祭くじの闇を暴こうとしたら大乱闘になった件、かな。

 

 

 

その2,鉢合わせ事件。

 

これはお袋のお袋、つまり母方のばあちゃんのお話なんですがね、昔々ばあちゃんのいつも乗るバスに忘れられない人がいたそうでして。

 

わたしはよく解らないのですが、昔のバスって、切符を切る女性の添乗員さんみたいな方がいたそうでして。その添乗員さんが、いっつもくわえタバコの大股開きでドコっと座っていて、あいさつもしねえ、とんでもない添乗員さんだったらしいんです。あまりの横暴な態度に逆にこの人ってどんな人なんだろうと興味が沸いたそうで。

 

…で、月日は流れて、うちのお袋が結婚するってなった時。

 

母方のばあちゃんは、結納の席で目眩がしたそうでして。その時が親戚初顔合わせだったらしいんですがね、

 

 

 

目の前にあのくわえタバコで切符を切っていた添乗員さんがいたので。

 

でもまぁ、母方のばあちゃんの方は結婚は当人同士の問題だと思い、ばあさんの方は母方のばあちゃんをまったく覚えていなかったらしいので、黙っていたそうですがお袋が嫁ぐ前日、

 

 

「何かあったらすぐ帰ってきていいからね」

 

と、念を押したそうです。客商売はどこで誰が見ているか解りませんからね、横暴な態度で仕事をするのは良くない事だとわたしはその時思いましたとさ。てか、よく結婚を許したな母方のばあちゃん…

 

 

その3,パチンコ屋事件。

 

時代がコンプラコンプラとうるさい今だったらすぐ追い出されそうですが、とりあえずうちのばあさんって、

 

赤子のわたしをおぶってパチンコ屋に行っていたそうで。

 

まぁ、これだけでも破天荒感は十分かと思いますが、その後日談でばあさんって今から25年くらい前にパチをやめたんです。その理由が、パチンコ屋って地域によってルールは違うと思いますが、わたしの住む地域だと、出玉のやりとりって禁止なんですよ。換金ギャップを考慮して(借りる時1球4円、返す時1球2.32円くらいの大換金ギャップが当時の宮城県の換金率でした)だと思うんですがね、それを平然とじいさんとやらかして、出ているじいさんの球を平然とばあさんがかっさらったりして、度々店員さんに注意されると、

 

夫婦でタマのやりとりをして何が悪いんだよ!

 

と、逆ギレ。そんで、そりゃお店としても芳しくないので出入り禁止宣言。そうやって次のパチ屋に移動しやらかして、またつぎのパチ屋に移動してやらかして、つまり、


近所でパチを打てる店が無くなった訳です。

 

そりゃ強制的にやめざる得ないですからね、打てないんじゃ。まぁ、これじいさんから釣りをしながら聞いたお話なんですがね、どこでもルールを守るのって大事なんだなぁとしみじみ思いました。そして大人になったわたしがふつうにパチ屋に吸い込まれるのは仕方のない事なんですよ…ええ、0歳からの英才教育ですから。

 

と、近所のスーパーあおぞら市場事件とかまだまだ沢山の伝説があるのですが、長くなってしまうのでとりあえずはこの辺で…ばあさんは晩年こそ落ち着いてはいたけどね。それで、破天荒の他に何かありませんでしたか?と言うお坊さんに特にありませんという返答で戒名話は終わりました。

 

その後は葬式屋さんと、香典返しやら棺やらと細かい打ち合わせ。それも何ともスピーディ。なんせ「棺桶はかわいいの、香典返しはじいさんの時と被らないの」で終わりましたからね。

 

と、ここまでの記憶は結構ちゃんとあるんですが、この後わたしは告別式の後まで記憶がうつらうつらとしています。無理もありません、ばあさんに早速線香をあげにきた近所のばあさんの友達が、

 

「あんたらじいさんの時は鉄板出してきて宴会とかしてたけどそういうのはダメだよ」

 

と言う言葉をありがたく頂戴したもののその辺に置いて置いて、葬式が終わるまで、

 

三日三晩飲み続けましたから。

 

線香番とかしながら夜は飲み続け、昼は近所やら遠方の親戚やらがやってくるので対応して寝れず…それでも何か酔っ払いながらもわたしは仕切っていたようで、ほとんど記憶にないんですが通夜と告別式の受付もしていたそうで。何かお葬式の記事なのにここは端折っちゃいけない気がしましたが、正直酔っぱらいのおぼろけな記憶ではテキトーな事書きそうだし、そんなにお通夜~お葬式の流れはじいさんの時と変わらないので割愛します。

 

そんな夢うらら状態がはっきりしたのは葬儀が終わって、ばあさん宅に帰ってきてまた一族でお酒を飲み出した時の事。終わったなぁとか、やっぱり2回目だと段取りが解っていいなぁなんて言いながらガツガツお酒を飲むおよ一族。何て言うか、うちのお袋と妹は飲めないんですが、それ以外のおよ一族はみんな酒豪なんです。親父の姉の子供、いとこに至ってはわたしよりお酒に強い。

 

して、誰が言い出したのか、所で、このばあさんが住んでいた家…どうすんの?って話になりまして。親父は住処を買っちゃっているし、おじさんおばさんも立派な家を建てているし。売ると言っても建物は古いんで二束三文にしかならないし、実家が無くなるのは嫌だわ!と、おばさんが(酔っぱらって)泣きながら言い出すし…

 

ホント、どうするんだろうなぁ…とわたしは思っていると、酔っぱらった親父がニコニコしながら、大丈夫もう住む奴は決まっているから!とか言い出した。え?と一同。誰かに貸したりするんかなぁ…って思っていると、

 

 

およ、お前住めな!

 

とか言いだしやがる親父。え?なんでわたしが??最近引っ越したばっかりだし、また引っ越すの面倒だし、と言おうとするや否や、「そりゃいいね、どうせ昔住んでいた家だし」とか、「ここなら家賃かからないしね~」とか、「他人が住むよりはいいよね」とか言い出す一同。え?だからちょっと待って少し考えさせてよ、と言うタイミングも貰えず、何かわたしがばあさんの家に住まないと悪のような空気が流れる。ちなみにおばさんは、本人ほどではないがばあさんの血を結構な勢いで引き継いでいる様子がちらほらと伺える。そんなおばさんが、ちょっと声を低くして、もぎもぎしているわたしを見て、

 

「何、およちゃんここに住みたくないの?」

 

と、一瞬破天荒のような表情で言ってきた。

 

 

そんな訳で、

 


一年で二度の引っ越しをしたおよでした。

 

なかなかないですよね一年で2回のお引越しって。しかも海沿いには3ヶ月しか住んでいなかったという笑。

余談ですが、引っ越してからもう8年位経つのですが、寝ていると夜中にドコドコって誰かが歩く音が聞こえるんですよね。猫みたいに可愛い足音じゃなくてドコドコって聞こえる…なんとなくだけど、まだ成仏していないんじゃないかってたまに思います…

葬式クエスト ばあさんの場合” に対して3件のコメントがあります。

  1. ピンバック: 聖域しまむら | ozfare

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